10年ほど前、ワタミの社内報に載せた文章がFacebookに上がってきたのでブログに転載しました。
「母の日によせて」
実は、私の母親は外国人です。
中華系のネイティブなアメリカ人。
だからあまり日本の文化がよくわからない。
身内の恥をさらすようですが、母の日なのでエピソードをひとつ。
もう、20年近く前「和民」の池袋よメトロの店長だったときでしたか。
たまたま実家に帰ったときのこと。
母が、私の好物の寿司を買ってくるという。
「京樽」のパックの千円くらいの寿司です。
外国人なので寿司を食べないから、パックの寿司だろうが寿司は寿司という考え方だったと思います。
そこらの寿司でも私が満足すると思ってる。
そして買ってきたのは980円の「みやびセット」。
妹も一緒に買いに行ったようで、そこでの母の行動を面白おかしく語ってきました。
「お兄ちゃん聞いてよ!お母さんったら(笑)」
妹いわく、最初、母が取ったのは、そのパックの寿司ではなかったそうです。
でも会計しようとした瞬間、「ユリちょっと待って」
「こっちの寿司のほうがいいわ」といって差し替えたそうです。
でも妹はそこでびっくり「ええ!?お母さん、さっきのもこっちのも両方『みやび』だよ(笑)」
「違う風に見えた?」けたけた笑う。
実際おなじ「みやびセット」なのです。
母親も自分の失敗に気がついて、真っ赤になって苦笑いしてる。
「あっそっか(笑)パックの寿司の中身の区別もつかない外国人だね。」
しばらく妹はそんな母親をからかいながら笑っていました。
一方私は、そんな二人の会話を聞いて「ありがたいなあ、うれしいなあ」と思いながら
泣きそうになりながら、おすしを食べていたのであります。
私の母親は精一杯だったのだと。会計の寸前まで、「自分はあまりすしのことはわからないけど、たまに帰ってくる息子に対してなんとかいい寿司を選ぼう」
そんな思いから、懸命に良い寿司を探す姿が思い浮かんのです。
これがご馳走というものでしょう。人に注ぐ愛とはこういうものなのか、と思います。
「980円の寿司だけど幸せだなあ」と思いました。
そして、私は、そんなことに感動できるように育ててくれた親と、そして実はそんな、些細なことにも感動できるように育ててくれたワタミという会社に感謝したのです。
この会社はマシーンのようだった自分に人間の心を注入してくれたなと。
人として成長すると、感動が増えてとても人生が充実します。
その母親も他界して12年になります。
母親の誕生日は5月の10日。
毎年母の日とほぼ同時に祝うようにしていました。
「孝行のしたい時分に親はなし」
母の日です。
すべてに感謝を。今日も精一杯生きようと思いました。