「通用するチカラ」が人類をより便利にする
人は誰もが才能を持っていて、その才能を磨くことで「強み」に変えて行くことができます。
「強み」とは「特定の作業において、ポジティブな結果を一貫してほぼ完璧に生み出す能力」です。
この基礎的な力をご自身が身につけるといろんな業界を超えて「通用する」ことになります。
なので私は、これを「通用するチカラ」と呼んでおります。
ワタミのミッションとパーパス
さて最近、会社の経営にはパーパスが必要だと言われています。
よくいうミッションとかビジョンとは何が違うのでしょう?
ちょっと調べてみますと
ミッションはWhat=何をするということで、
パーパスはWhy=なぜそれをするのか?ということらしいです。
つまり、パーパスとは、
その企業がなぜそのミッションを遂行するのかという根本的な問いということになります。
私が以前勤めていたワタミグループではミッションを決めていました。
「地球人類の人間性向上のためのよりよい環境をつくり、よりよいきっかけを提供すること」
では、ワタミは、なぜこれを目指していたのか?
それは、渡邉美樹さんの人生観に関係あります。
渡邉さんは若い頃苦労されて、いろいろ考えた結果、
「この世とは人間性向上の道場みたいなものだ」という結論に達します。
だからこの世は何のためにあるのか?
ワタミ的な答えで言うと、「それぞれがそれぞれの立場で人間性を高めていくためにある」
ということになってます。
だから生きてますと、お試しごととして、色々な課題が目の前に起きたりするわけです。
それを克服したり、あるいは挫折したりする中でだんだん人間が磨かれていくんだというお話です。
そうやっていくつかお試しごとをして、その人なりのゴールになった時に一旦この世とはお別れするのだという話です。
ここら辺は、非科学的と思うかもしれません。
でも実際に現代の科学では本当のところどうなっているのかは判明していないので絶対にない話ではないわけです。
いずれにしろこんな人生に対する解釈を前提に置いています。
そういった前提のなかで、
人間性を高めるのが全人類の目的なのだとすれば、
より良い環境の中で便利にたくさん勉強ができた方がいいし、
いろんなきっかけがあって自分の夢に気づいてそれに邁進した方がより良く成長していけるだろうと言う考え方です。
だから、ワタミグループは外食事業、介護事業、弁当事業、農業事業、環境事業、教育事業を通じて、この世の中をより便利にしていきます。
その過程で人間性を追求して行く環境を整えて行くんだという意味を込めてそれを使命としています。
そこで、使命=ミッションとして
「地球人類の人間性向上のためのよりよい環境をつくり、よりよいきっかけを提供すること」を設定したわけです。
そしてその使命を遂行する理由、
つまりパーパスは
「人生とは人間性を高めるためにある道場」だから、ということなんです。
自分のミッションとパーパス
先日、私も自分の教育事業のミッションとパーパスを整理しました。
まだまだ詰めが甘いと思いますが、一旦文章に表すことでよりブラッシュアップされるかなと思っています。
私の会社のミッションは
「1人でも多くの人の本当の強みを明らかにし、人生の満足度と生産性をあげること」
としています。
なんでそんなミッションなのか?
実は私、スーザンボイルさんなどを輩出したブリテンズ・ゴット・タレントやアメリカズ・ゴット・タレントのようなストーリーが好きなんです。
登場してきた時は、パッとしない風采でバカにされてる人が、一度歌を唄えば拍手喝采となる様は非常に痛快です。
人や事業がその本来の力を解き放って、他の人を感動させるホンモノのストーリーにずっと関わっていたいと言うことなんです。
ミッションを設立して会社つくって一年たって少し中途半端だなと思ったんですね。
というかこれはミッションなので「What 何をするか」と言うことなんですね。
今考えてみると、パーパスが不明確だったのかと反省してます。
つまり
「なんでやるのか?Why」の部分が自分の中でも明らかになっていなかったです。
ですが、最近、いろんな思考の糸がくっついて表題のことを思いつきました。
つまり
私のミッションは
「1人でも多くの人の本当の強みを明らかにし、人生の満足度と生産性をあげること」
ですが
ではそのミッションをなぜ遂行するのか?
それは
「通用するチカラが人類をより便利にする」と思っているからです。
これが今は、自分のパーパスなのかなと思ってます。
なぜ「通用するチカラ」を磨くことが人類をより便利にするのか?
冒頭申した通り「通用するチカラ」というのはストレングスでいうところの「強み」と同じ意味です。
強みとは
「特定の作業において、ポジティブな結果を一貫してほぼ完璧に生み出す能力」のことです。
この基礎的な能力は業種や分野を超えて通用するチカラであると思います。
なので、これを磨いておくことは、さまざまな専門的なスキルや知識を身につけるのと同じくらいに重要なこととなります。
なぜなら、人は「通用するチカラ」を発揮している時こそ、最大限の生産性を発揮し、本人の満足度も高いからです。
強みを活かすと売上は2割、利益は3割増する。
そして、満足度においては6倍になる。
世界最大の統計調査会社Gallup社が4,000万人調べて、そんな統計を出しています。
また、現代社会はワタミ式に言えば、時代と共にだんだん環境は良くなってきていると思われます。
ですが、子供の頃夢見ていた空飛ぶ車などはまだ普通には存在しません。
そして、まだまだ治らない病気もあるし宇宙の真理もわからないことだらけです。
もっとオール人類でこういった課題を解決して行く方向になっていけば良いと思います。
しかし、これがなかなか進みません。
なぜでしょう?
現代社会は、資本主義の時代です。
そんな中で、一部の業界に才能のある人が偏在している気がします。
例えば金融業界やIT業界です。
当然そこにいる方々は優秀だとは思うんです、でもちょっと報酬が高すぎるかなと。
例えば渡邉美樹さんはワタミの社長としての報酬は数千万円です。
数千万円でも良い方とは思います。
でも金融業界には年収で数億円もらっている人もいるわけです。
さて、収入が10倍だからと言って金融の人が10倍も優秀か?
と言われたらさすがに10倍はないんじゃないかと。
ただいろんな環境や歴史から報酬格差が業界ごとにできてしまってます。
その報酬があるからこそ多くの才能が金融業界やITに行ってしまってるのも事実だと思います。
それが資本主義の仕組みだとも思います。
しかし、そんな中でもし、
それぞれの人々の才能を開発し「通用するチカラ」を磨けば、少しその偏りを正せるのではないかなと思いました。
すなわち「才能」を磨いて「強み」を開発すれば生産性が上がり、満足度も上がります。
生産性が上がってある程度まで給与水準が上がり、そして何より
働いている人の満足度が上がるのであれば。
そうであれば、才能ある人がそれを必要とされる業界に転身しやすくなるのではないかと思います。
そうすれば科学研究だったり医療だったり人類の便利の底上げに貢献してくれる業界に、才能ある人を増やしていくことができるかもしれない。
そうなればいろんな業界が発展し、人類がより便利になって行く、、、。
一燈照隅
こんな果てしのないビジョンで、たった一人から始めるのは焼け石に水に思われるかもしれません。
ですが、比叡山延暦寺を開いた伝教大師、最澄はいいます。
「一燈照隅(いっとうしょうぐう)、万燈照国(ばんとうしょうこく)」
「最初は一隅を照らすような小さな灯火でも、その灯火が十、百、万と増えれば、国中を明るく照らすことになる」という意味だそうです。
一人一人が自分が置かれている環境で精一杯努力することが、国や組織全体にとって最も貴重であるという教えということです。
私は、ワタミでそれを見てきました。
カンボジアには何万人もの孤児がいます。
そんな中でワタミは孤児院をつくりました。
ワタミはカンボジアに学校を作って2万人を通わせていました。
しかし、学校教育と違って子供を育てるのはその数十倍の労力が必要です。
だから頑張っても80人の孤児しか養うことができませんでした。
80人の子育てって想像するだけで大変ですよね。
しかし、心無い人はそれを見てこういいました。
「何万人の中の80人を助けてどうするんだ?焼け石に水だろう?」
渡邉美樹さんを指して偽善者と呼ぶ人もいました。
しかし、渡邉さんは一向に意に介さずこう言ってました。
「焼け石に水という人もいる。
だけど、だからと言って目の前の人に何もしないのは違うと思う。
カンボジアには焼けた石がたくさんある。
それに水をかけてもジュッといって消えるだろう。
それでも、ジュッというだけいいじゃないか。
焼け石に水でもいいじゃないか。
俺は焼け石に水をかけ続ける人間でありたい。」
なんかかっこいいなぁと思いました。
生きる姿勢をいうのを学んだ気がします。
微力ながら頑張ろうと思いました。
「1人でも多くの人の本当の強みを明らかにし、人生の満足度と生産性をあげること。」
「通用するチカラが人類をより便利にする。」
「焼け石に水でもいいじゃないか。」
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