勝利の状態とは「自分で自分をコントロールできている」こと
勝利の状態とは「自分で自分をコントロールできている」こと

勝利の状態とは「自分で自分をコントロールできている」こと

勝利や成功とは?

成功の定義はたくさんあります。
仏教用語に「勝利」というものがあります。
勝利といえば一般に「争いごとに勝つこと、相手を負かすこと」と定義されます。
でも本来の意味の勝利とは、実は「勝れた、ご利益」
すなわち
「すぐれた、ごりやく」という意味だそうです。


仏教の中では「仏の御加護がある状態」と説明するらしいですが
私は、この勝利の状態というのは「自分で自分をコントロールできている」状態だと思います。


自分をコントロールするって簡単なようで難しいです。
自分で決めた計画を期限内に必ずやる。
これマネジメントの基本ですけど、「三日坊主」という言葉がある通り、100%実践となると難しい。
こうやって心をコントロールするのは思っているよりも難しい。
また体をコントロールするのも難しい。
タレントの武井壮さんという10種競技のチャンピオンがいます。
「両腕を左右に地面に水平にする。こんな単純なことですら鏡がないと人はできない。
だから思った通りに体を動かすのは思っている以上に難しい」
心も体もだいたいだったらコントロールできますが、思い通りにやりたいと思うと難しい。


心も体も、思ったよりも盤石ではなく
ちょっとした外部の影響でフラフラしてしまうようです。
だから心と体という土台をしっかり作らないといけない。
フラフラな土台に何を積み重ねても崩れてしまうと考えます。
まずは土台作り。
この土台の上に「実行するチカラ」が積み重なることで「通用するチカラ」になります。
そう言った中で座右の銘として「常に心迷わぬ独坐大雄峰の心」というものを置いています。

常に心迷わぬ独坐大雄峰の心

なんで生きているんだろう。
突然重い話かもしれませんが、便利なことに自分の代わりに昔の頭のいい人たちが色々考えててくれます。
人生は、見解」に過ぎないのなら、ちょこっと調べて自分に合うものを取り入れれば良いと思います。
そんな中で、私は、「常に心迷わぬ独坐大雄峰の心」でいれば人生一旦スタートラインには立ったのかなと思います。


独坐大雄峰なんて言葉は、ほとんど聞かれたことがないと思います。
碧巌録という宋の時代の本に百丈という禅のお師匠さんにライバルのお坊さんがこんな質問をします。


ライバル「如何なるか是れ奇特の事」
(この世で一番尊いものはなんですか?)
百丈「独坐大雄峰!」

なんのこっちゃですが、私なりに解釈してみます。

この世に生きていて、色々大切なものがあります。
人間性が大事だ。経済が大事だ。親兄弟が大事だ。名声や評判が大事だ。
ミッションが大事だ。パーパスが大事だ。
仏教なら仏が大事だ、僧が大事だ。
いろいろあるじゃないですか。
でもとりあえず一個、最も尊いものはなんですか?という質問だったようです。
そしてそれに対する答えが「独坐大雄峰」
本当に禅問答的で面白い。


百丈さんのお答えは
「この世に尊いものは数あれど。
この大雄峰、高くて険しい山に、一人(独り)、自分がドカっと坐っている。
この状態こそ何よりも尊い。
そして自分がこの世に意識を集中して確実に存在していないとダメよ。
上の空ではダメよ。
そうやってしっかりと存在しない限り、その自分に何を積み重ねても意味はないんだぞ」
と言い切ったわけです。


考えてみれば人間、意外とちょっとしたことで自分の心も体も影響を受けてまあまあフラフラします。
もっというと、本当かどうかわかりませんが、人間が一人生まれてくる確率ってものすごく低いわけです。


どれくらいの確率なのかっていうと。
聞いたことがあるのはこんな話。
プレハブの工場に飛行機の部品を運び込んで、そのプレハブの工場をガシャガシャガシャっとゆすってポンっと叩くと飛行機になっているくらいの確率だっていうんだから、すごいですよね。
その時にちょこっとした作用で全く違う動物になったりして。
そんな微妙な匙加減で生まれてきてますし、生まれた後もいろんな影響を受けて人格ができていきます。
なので、フラフラしすぎてどっかに行かないようにするのが、一番最初に肝心だということかなと思います。


この大雄峰にドカっと根を下ろして生きるということ。
これが「なんで生きているのか」に対する一つの答えなんじゃないかと。


この百丈和尚のエピソードをどこかで読んで私は思いました。
色々考えてみたけど、人間も「生命体」なんだから、難しいこと考えずに
まずは「生きている」こと。
そのことだけで人生の目的は達成しているんじゃないかって。


この「生きている」だけで「一生命体」として「十分」なんだ!と理解した状態。
この気持ちを表しているのが独坐大雄峰という言葉で。
そういう状態であるからこそ「常に心が迷うことはない」状態に近づけるのではないかなと考えます。


これは「度量気象良く生きる」ことと「否定しない」ことでさらに深掘りできると思うんですよね。

1件のコメント

  1. ピンバック: 度量気象良く「生き切る」という正々堂々なお話 - MS Official Web Site

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